一人介護の限界
頭痛と吐き気で起きられない。
鎮痛剤も4錠飲んだ。
昨晩、歩行器による母の歩行が儘ならず、支えていたら治りかけていたギックリ腰がまた悲鳴を上げた。
「オムツを替えてくれ」
「朝御飯を食べさせてくれ」
と母が呼んでいる。
腰の痛み、頭痛とと吐き気を堪えてパンと飲み物だけ何とか準備して、まず洗っておいた母の入歯を入れる。
次にオムツを替える。
排泄物の匂いに吐き気が益々つのる。
オムツ替えで腰をかがめると、また腰が悲鳴を上げた。
気持ちはそんなに萎えていない、が身体の辛さからなのか自然と涙が出た。
せめて母が認知症を患っていなかったら、もっと理解してくれたら。
またしても一人介護の限界を感じる。
頭を患ってしまうと、人は人でなくなる。
親は親でなくなる。
それでも親なのだ。
既に始まっている高齢化社会、核家族化がもたらした介護負担。
老老介護や一人介護を苦にした自殺や無理心中、自分のことを後回しにして顧みなかった、いや後回しにせざるを得なかったことによる病死。
大山のぶ代さんのご主人や有賀さつきさんは これに当たるだろう。
そして、今後益々大きな社会問題となるに違いない。
だから、こんな思いをせずに済んだ人は本当に幸せだと思って欲しい。
そして次に考える自身の老後。
親の事を考えれば認知症リスクは高いと言える。
頼る人は居ないのだから自分自身で考え決めておかなければ、準備しておかなければいけない。
母の事を終えてソファに倒れ込むと、愛犬 凜が寄り添って来る。
唯一の救いであり、頑張る力を与えてくれる大きな存在。
君が居てくれて本当に良かった。