ひとり介護 5年間の記録

2019年に母が他界。以後2020年からは5年間の介護の日々を振り返ります。介護と向き合う方に少しでもヒントとなり、エールになりますように。

昨日の雪で大混乱

前日から土曜日の雪については関東地方も警戒が呼び掛けられていましたが、当然ながら土曜日の母の訪問介護にはヘルパーさんが行けないかもしれないとケアマネージャーさんから前日の仕事中に連絡が入りました。

昼休憩時にケアマネさんに折り返しTEL。
「現時点で仕事を休むのは無理、何も出来ない母を一人にするのも無理。
まして明日の雪の状況によっては私自身が帰れない可能性もあるという事で、急ではあるが訪問介護から通所介護の宿泊付きにして貰えないか。」
と交渉。
渋るケアマネさんに、急な事なので尤もな反応ではあるが そこは何とか当たってみて欲しいとお願いし、自らは最悪の事態に備えて母の食事を最低限の動きで自力で食べられるものを準備。
でもそれ以外の歩行、洗面、着替え、排泄などは全て無理。
出来る限り私が早く帰宅するしか無いのか?

結局、前日は帰宅後も深夜までケアマネさんと遣り取り、漸く無事母の宿泊が決まれば今度は手続きと宿泊の準備。
用意した食事は冷凍保存。

夜の母と凜の世話と雪対策の遣り取りを
していたら自分が食事をしていなかった事に気付くももはや深夜2時を過ぎている😣
今から残りの家事か〜と考えたらクラッと来ましたが、父の口癖だった「やらなくてどうする!」と鞭打ち。

翌朝は疲れていたのか電車に傘を忘れてしまい😢
で、実際の雪の状況に拍子抜けでしたが、まぁ酷くならなくて良かったということで。
でも、雪は降るかも!というだけでも懲りごりな介護生活です。

 

介護の現実について

現在の母の介護度は「要介護5」。

介護認定では最も重い介護度だ。
介護度が重いと当然掛かる費用も大きく、働きながら1人介護の我家に置いてはデイサービスやヘルパーなどの介護サービスを利用しない訳には行かず、家計負担も厳しい現実があります。

「要介護5」認定となった認識調査時は母の幻視、幻聴状態が酷く「部屋が水浸しでドンドン水が溢れて来てるから早く何とかして!」と騒いだり、誰も居ない窓に向かって「ここはアナタの家ではないし、金目のものは何も有りませんからどうぞお帰り下さい。」と言っていたり、「虫だらけで食べられない」と用意した食事を一切食べようとしないなど最も重い介護度が出されても仕方ない状況でしたが、コウノメソッドによる抑肝散投与で改善したし、「要介護5」認定など寝たきりに近い状態で受けるものという認識でいたので介護度軽減の認定調査を依頼しました。

まだ認定調査はこれからですが、ケアマネージャーからは軽減できるかは五分五分と言われてしまいました。
理由は、介護度は要介護者の状態よりも介護者側の負担状態に対して判断されるものだからという事です。
「起き上がり、車椅子移乗、移動、着替え、洗面、食事、服薬、排泄、入浴、洗濯、通院、外出、片付け、清掃、散髪、買物ほか生活の全てを娘さんが全介助している現状では、幻覚や幻聴が治まっているからと再調査しても介護度は軽減出来ないかも知れません。」と言われてしまいました。

有難い介護サービスですが、当然費用負担も厳しい。
しかしながら介護サービス無しでは働きながらの1人介護は成立しません。
生活の為には働かない訳には行きませんから、1人介護生活の厳しい現実がここに有ります。

一人介護の限界

頭痛と吐き気で起きられない。
鎮痛剤も4錠飲んだ。

 

昨晩、歩行器による母の歩行が儘ならず、支えていたら治りかけていたギックリ腰がまた悲鳴を上げた。

 

「オムツを替えてくれ」
「朝御飯を食べさせてくれ」
と母が呼んでいる。

 

腰の痛み、頭痛とと吐き気を堪えてパンと飲み物だけ何とか準備して、まず洗っておいた母の入歯を入れる。
次にオムツを替える。
排泄物の匂いに吐き気が益々つのる。
オムツ替えで腰をかがめると、また腰が悲鳴を上げた。

 

気持ちはそんなに萎えていない、が身体の辛さからなのか自然と涙が出た。

 

せめて母が認知症を患っていなかったら、もっと理解してくれたら。
またしても一人介護の限界を感じる。

 

頭を患ってしまうと、人は人でなくなる。
親は親でなくなる。
それでも親なのだ。

 

既に始まっている高齢化社会核家族化がもたらした介護負担。
老老介護や一人介護を苦にした自殺や無理心中、自分のことを後回しにして顧みなかった、いや後回しにせざるを得なかったことによる病死。
大山のぶ代さんのご主人や有賀さつきさんは これに当たるだろう。

そして、今後益々大きな社会問題となるに違いない。

 

だから、こんな思いをせずに済んだ人は本当に幸せだと思って欲しい。

 

そして次に考える自身の老後。
親の事を考えれば認知症リスクは高いと言える。

頼る人は居ないのだから自分自身で考え決めておかなければ、準備しておかなければいけない。

 

母の事を終えてソファに倒れ込むと、愛犬 凜が寄り添って来る。
唯一の救いであり、頑張る力を与えてくれる大きな存在。

君が居てくれて本当に良かった。

流れを作って

介護に無理はつきもの。

でも、無理し過ぎは禁物だと考え始めた今日この頃。

無理し過ぎない程度の無理、この度合いやパターン、流れを掴むと、肉体的にも精神的にも楽になりました。

 

とはいえ、突発的な事態が日常的に起きるのが介護です。

お腹を壊して、便失禁。

予期せぬ突然の事態で、しかも介護者にとっては対応も後始末も大変!

出かけようとしているところで コレが起きるとてんやわんや。

すると、ついついキツい言葉を吐いてしまいがちです。

 

食べ物をこぼす、倒す。

大きな声で希望、要望  (時にワガママ)を言う。叫ぶ。

 

深夜、寝ていても起こされる。

 

もっと文化的な部分では、要介護者も一人の生活者として生きている訳ですから、皆と同様に様々な用事(保険、銀行、その他契約類)や、友人・近隣との付き合いも有る訳です。

 

認知症でいろいろな事が解らなくなってしまっていても、整理しない限り これらは終わりではありませんから、代行するなど対応が必要です。

 

こんな日常的ないろいろを、限度を決めて無理し過ぎずに こなして行くと、不思議とイライラが解消。

 

暫くはこのやり方で頑張ります。

 

問題は 母のベッド、車椅子やトイレへの移乗に 身体が小さく腰が悪い私自身の体力面。

他は全く元気ですが、常に腰がジンジン

してる。

いつヘルニアの再発やギックリが起きるかとヒヤヒヤですが、だからこそ無理し過ぎは禁物なんですね。

 

あとは睡眠不足ですかね。

仕事に響いてる・・・(~_~;)

病院の家庭調査

母の退院が30日に決まりました。
その退院を前に病院の自宅実地調査がありました。
既に病院側には自宅図面、自宅各所の写真、あらゆる場所のサイズ計測した資料を提出していますが、その上さらに作業療法士1名、理学療法士1名、ケアマネージャー、介護福祉用具業者立会いのもと、実際に自宅で母の動作確認をし、自宅生活のために必要な対処、対策と、介護福祉用具を決めて行くものです。

結果、今までに用意した特殊ベッド、専用マットレス、ベッド周囲サイドレール、4点杖に加え、
新たに車椅子、歩行器、玄関の手摺り、ベッドサイドスイングアーム、寝室のポータブルトイレ設置、アーム付き介護椅子が必要と診断されました。

f:id:saorinboksrs97523816722:20170621094012j:imagef:id:saorinboksrs97523816722:20170621094015j:imageろ、
写真はその一部、玄関手摺りはもう設置して貰いました.。

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また、今までのデイサービス、ヘルパー利用を見直し、小規模多機能型居宅介護を利用する事になりました。
そうなるとケアマネージャーを変更しなければならない、老健ショートステイが利用出来なくなるなど新たな問題点がありますが、この際いろいろと試してみようと思います。

但し介護点数が足りない可能性も出ており介護度を上げる申請をすることにしました。通れば将来的には特養の空き待ちも可能にはなります。

実地調査後は母を病院へ送り届けてから、候補に上がっている小規模多機能型デイサービス一つの見学に行きました。
次の休みには更に2候補の施設見学を予約しました。

着々と進んでいるようにも見えますが、リハビリ病院退院後に受けなければならない手術実施病院の診察日が私の仕事と調整難しく、決まっていません。
診察を受けない限り脚腰に付けている装具が外せないので、トイレ介助労力がよりかかってしまうという、何とも上手く行かない状況に少しイライラ。

介護の闇

後を絶たない介護心中や介護殺人。
検索するとネット上に続々と出て来る介護の闇。
介護というものが綺麗事では済まされないという厳しい事実を突き付けられるようだ。

毎日、睡眠時間を削って何から何までケアしていると確かにヘトヘトになる。
心が どんどん押し潰されていく。

老老介護の場合は介護する側も高齢であるのだから体力の消耗は尋常では無いだろう。
働きながらの介護の場合は睡眠不足が非常にこたえ、翌日の仕事にも響いてしまう。
自分でも不安を感じ、無理しないようにしたいと思う。
それでも 今日は誰かが代わってくれるからというワケでもなく、手伝ってくれるワケでもないのだ。
誰かが夜中に自分の代わりに起きてトイレ介助や粗相の片付け、洗濯をしてくれるワケではない。
どんなに疲れていても、放置することは出来ないのだから頑張るしかない。

こうした介護保険制度の補助が届かない部分が 介護者にとっては大きくのしかかって来るのだ。
そして終わりが見えずに これが毎日続く事で悲劇が起きる。

決して他人事ではないと 身にしみて感じる。

一人介護のホントのところ

どなたかの投稿に、「介護する者が正直なところ、他者から言われたくない事」というのが有りました。

全くの同感でした。

 

介護の大変さ辛さは経験者にしか解らない事です。

だからこそ良かれと思って言っていたとしても、それはホントのところ介護する者の心情に寄り添えるものではないのです。

 

それは、これです。

本当によく言われることであり、そして介護する者にとっては言われたくない事なのです。

①頑張って

②無理しないで

 

もう充分、いや身体にムチ打ち十二分に頑張っている。

それでもまだ足りないと云うのか、という気持ちになってしまうのです。

もちろん声をかける人は励ましだけで、そんなつもりない事は解るのですが、心情は複雑なのです。

 

私が、頑張って以上に言われたくないのは 「無理しないで」です。

では、私が無理をしないで、誰が介護をするのか。

代わりにやってくれるとでも云うのか。

食事、着替え、洗面、排泄。

全て待ったがきかないものばかりです。

自分の体調が悪かったとしても、やらずに放置して置く事はできないのです。

自分の事は後回しにして、無理してやらなければならないのが介護です。